今回は混声合唱曲「等圧線」の歌詞の意味を考察していきます!
是非最後まで見ていってください!
はじめに
「等圧線」は『覚和歌子の詩による混声合唱曲集「等圧線」』に収録されている、
詩人の覚和歌子さんによって描かれた作品です。
(覚和歌子さんは『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」の作詩もしている方です。)
『覚和歌子の詩による混声合唱曲集「等圧線」』に収録されている別の曲の考察記事はこちらから
「リフレイン」(信長貴富)の歌詞の意味を考察! 歌詞に込められた思いとは~覚和歌子の詩による混声合唱曲集 「等圧線」より | 合唱曲紹介屋tam
この詩が描いているのは、
「世界と出会ったときに生まれる“わたし”の誕生」です。
テーマは海ですが、
本当に語られているのは風景ではありません。
ここにあるのは、
-
初めて圧倒的なものに出会う体験
-
言葉にならない感情
-
世界の中にいる自分の発見
-
そして“自分自身へ向かう旅立ち”
つまりこれは、
自己が目を覚ます瞬間の物語なのです。
前半:世界の大きさに出会う
最初に描かれるのは、
想像していたイメージが通用しなくなる体験。
「青い」「大きい」――
そんな言葉では足りない。
ここで示されているのは、
言葉が追いつかないスケールとの遭遇です。
人は、世界を知識やイメージで理解した気になっています。
でも本物に出会ったとき、それは崩れる。
圧倒される、まぶしい、途方もない。
この感覚は、
子どもが初めて世界の広さを知る瞬間にも似ています。
“初めての海”は、
未知の世界そのものの象徴なのです。
「これはわたしの海」という感覚
とても印象的なのがこの言葉。
海はみんなのもの。
でも同時に「わたしのもの」だと感じる。
これは所有の意味ではありません。
同じ景色でも、
感じ方
心の震え
記憶との結びつき
は、その人だけのもの。
つまりここで語られているのは、
世界は客観的なものではなく、体験によって“自分の世界”になるということ。
初めての体験は、
世界を“自分のもの”として塗り替える力を持っています。
中盤:名前のつかない感情
次に描かれるのは、
感情が既存の言葉に収まらない状態。
感謝に似ている。
でも違う。
謝罪にも似ている。
でもそれでも足りない。
ここにあるのは、
心が大きく動いたときの混ざり合った感情です。
圧倒される体験の前では、
嬉しい
悲しい
怖い
愛しい
が分けられなくなる。
これは、
自分の内面が広がっていく瞬間でもあります。
世界の大きさに触れることで、
心の器も広がっていくのです。
後半:外の海と内の海
台風の気配とともに描かれる波の音。
ここで外の自然と、心の内側が重なります。
海の荒れは、
同時に胸の奥の高まりでもある。
つまりこの詩では、
外の風景 = 心の風景
になっている。
世界に出会うことは、
自分の内側に出会うことでもある。
“初めての海”は、
同時に“初めて出会う自分自身”なのです。
終盤:誰のものでもない、わたしの海
ここで視点がさらに変わります。
海は共有のものでもなく、
誰かのものでもない。
それでも「わたしだけの海」。
これはとても重要な感覚です。
世界は誰のものでもない。
でも体験した瞬間、その世界は“自分の物語”になる。
つまりこの詩は、
個人の存在が世界の中で立ち上がる瞬間を描いています。
最後の一行の意味
最後に示されるのは“船出”。
でも行き先は外の世界ではなく、
「わたしへ」。
これは、
他人になる旅ではなく
本当の自分になる旅
の始まりです。
世界の大きさに触れ、
心が揺れ、
自分の内側が動き出したとき、
人は初めて「自分になる旅」に出る。
この詩は、その出発点を描いています。
おわりに
この詩は、
海の描写のようでいて、
自己が目覚める瞬間を描いた作品です。
世界の広さに打たれ、
言葉にならない感情を抱き、
心が動き出す。
そのとき人は、
“ただ生きている存在”から
“自分として生きる存在”へ変わる。
静かで透明で、
でも人生の大きな転換点を描いた、
「わたしが生まれる瞬間」の詩なのです。


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