こんにちは!今回は混声合唱曲「泣いているきみ」の歌詞の意味を考察していきます!
是非最後まで見ていってください!
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はじめに
「泣いているきみ」は混声合唱曲集「かなしみはあたらしい」に収録されている、
詩人の谷川俊太郎によって描かれた作品です。
この詩は、励ましの言葉を並べる作品ではありません。
元気づけるわけでも
解決策を示すわけでもない。
描かれているのはただ一つ。
「悲しんでいる人の隣にいる」という姿勢 です。
テーマは
-
感情の肯定
-
理解しきれない他者との関係
-
個人を越えた人間同士のつながり
です。
前半:そばにいるという行為
詩は、泣いている相手の隣に座る場面から始まります。
ここで特徴的なのは、
何かを「してあげる」行動ではなく、
ただ「いる」ことが描かれている点。
さらに、相手の心の中に広がる世界を想像する描写が続きます。
これは、
他人の内面は完全には理解できない
という前提に立ちながらも、
それでもその人の心の中には
広がりや美しさがあると信じる姿勢を示しています。
理解しようとするよりも、
存在を尊重する優しさ がここにあります。
「泣いている姿」を肯定する意味
詩の中では、
笑っている姿と同じくらい、
泣いている姿も肯定されています。
これはとても重要なポイント。
私たちはつい
「笑顔=良い状態」
「涙=悪い状態」
と分けてしまいます。
でもこの詩は違う。
感情に優劣をつけない。
悲しんでいる時間もその人の一部であり、
価値のある姿だと認めているのです。
中盤:悲しみの位置づけ
詩の視点は個人から少し広がり、
悲しみは特別な出来事ではなく、
人間にとって普遍的な感情として描かれます。
ここでは悲しみは「排除すべきもの」ではなく、
やがて形を変えていく感情として捉えられています。
つまり悲しみは
人生の流れの中の一つの状態にすぎない。
この見方が、詩全体の穏やかさにつながっています。
「理由を訊かない」という優しさ
この詩の大きな特徴の一つが、
涙の理由を追及しない姿勢。
人は誰かが泣いていると、
原因を知りたくなります。
でもそれは時に、
相手を自分の理解の枠に収めようとする行為でもあります。
ここでは違う。
理由よりも、
いま感じている感情そのものを尊重する。
たとえ自分が原因だったとしても、
まず優先されるのは相手の心。
非常に深い受容の姿勢です。
終盤:個人を越える涙
詩の後半では、涙が一人のものではなく、
人類共通の感情と重ねられていきます。
一粒の涙の中に、
時代や人々の感情が重なっているという発想。
ここで涙は「弱さ」ではなく、
人間である証になります。
そして最後の言葉は、
目の前の相手だけでなく、
悲しみを抱えるすべての人への肯定へと広がります。
おわりに
この詩は、元気づける詩ではありません。
でも、
泣いているとき
理由を説明できないとき
ただ誰かにそばにいてほしいとき
そんな時間に思い出したくなる作品です。
大切なのは
直そうとしないこと
理解しきろうとしないこと
ただ存在を肯定すること
この詩は
「優しさとは何か」
を静かに教えてくれます。
派手さはありませんが、
深く心に残る一篇です。
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