今回は混声合唱曲「はっか草」の歌詞の意味を考察していきます!
是非最後まで見ていってください!
はじめに
「はっか草」は『混声合唱とピアノのための組曲「みやこわすれ」』に収録されている曲です。
詩人の野呂昶(のろさかん)によって描かれた透明感ある言葉が魅力的です。
この詩は、花の記憶を通して母の言葉を思い出す作品です。
描かれているのは派手な出来事ではなく、
幼い日の一場面
母の声
そして今の自分
時間を超えて残り続ける「言葉の香り」がテーマになっています。
中心にあるのは
「なれなかった自分」と「それでも消えない教え」
です。
ここに出てくる「はっか草」は実在の植物ですが、
この詩では単なる植物ではなく、
清らかさ
やさしさ
まっすぐな心
の象徴として描かれています。
詩の前半
つゆ空にうかぶ
うす緑のちいさな茂み
その中から 煙るように
小さな花が いくつも咲いた
「つゆ空」はしっとりと湿った空気。
輪郭がやわらぎ、世界が静かになる時間です。
「煙るように」という表現は、
花がはっきり見えるというより、
思い出がぼんやり立ち上がる様子を感じさせます。
この時点で詩のトーンは
静か
やわらかい
懐かしい
方向へ定まっています。
母の言葉 ― 人生の種
「これははっか草の花」
幼い日 母はその蕾みを手折って
私に言った
「はっか草のような人になりなさい」と
ここが詩の核心です。
「はっか草のような人」とは、
目立たないけれど
近づくと心が洗われる
そばにいる人をやさしくする
そんな存在です。
子どもだった「私」は、
その意味をきっと完全には理解していません。
でもこの言葉は、心の奥に種のように残りました。
香りの正体 ― 目に見えないもの
顔を近づけると どの花でもない
きよらかな香りがした
心が引き込まれる 不思議な香りだった
ここで描かれるのは視覚ではなく嗅覚です。
香りは形がなく、つかめません。
でも確実に存在し、心に直接届きます。
これは後半で描かれる
「今も残る母の言葉」
の伏線になっています。
後半 ― なれなかった自分
あれから幾十年 私はひたすら生きて
母はもうとっくにこの世を去った
時間が大きく流れます。
幼い日から「幾十年」。
母はもういない。
ここで読者は、避けられない「別れ」と向き合います。
「はっか草のような人になりなさい」
私はついに
そのような人には なれなかったが
この告白が、この詩の一番切ない部分です。
理想に届かなかった自分。
母の願いを叶えられなかったという思い。
でもこの詩は自己否定で終わりません。
残り続けるもの
その声だけは 今も
私の中で
気高く香っている
ここで冒頭の「香り」とつながります。
母はもういない。
理想の自分にもなれなかった。
それでも、
母の言葉は消えなかった。
心の中で、今も「香り続けている」。
これは
教えは形ではなく、心の中に生き続ける
というメッセージです。
この詩が伝えていること
この詩は「後悔の詩」ではありません。
なれなかった自分を責めるのではなく、
それでも大切な言葉を持って生きてきた
という事実を見つめる詩です。
理想の姿になれなくても、
その言葉を覚えている限り、
人は少しずつその方向へ生きている。
「はっか草」は、
母の愛
生き方の指針
心の中の灯
その象徴なのです。
おわりに
この詩は、
大きなドラマではなく
人生の静かな余韻を描いています。
歌う・読むときは、
悲しみを強く出すより
懐かしさとやさしさを大切に
言葉をそっと置くと、この詩の温度が伝わります。
目には見えないけれど、
今も心の中で香り続ける言葉。
それが人を支え続ける力になることを教えてくれる、
とても静かで深い詩です。


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