「僕が僕を見ている」(横山潤子)の歌詞の意味を考察! 歌詞に込められた思いとは

歌詞の意味考察

今回は混声合唱曲「僕が僕を見ている」の歌詞の意味を考察していきます!

是非最後まで見ていってください!

はじめに

「僕が僕を見ている」は2019年Nコン高校生の部の課題曲です。

作詩は映画プロデューサーである川村元気さん。

「君の名は」などの映画をプロデュースしている方です。

この詩が描いているのは、
「自分がいなくなった世界を想像すること」 と、
そこからもう一度「生きる側」に戻ってくる心の動きです。

象徴になっているのが、
“自分を外から見ているもう一人の自分” という視点。

これは、

  • 自己否定

  • 客観視

  • 空想的な死後の視点

その全部を含んだ、心の中の装置です。

この詩は「死」を描いているようで、
本当は

「自分の存在の重さを測り直す物語」

になっています。


前半:自分を外から見る視点

詩の冒頭で起きているのは、
自分が自分を見下ろしている状況です。

ここで大事なのは恐怖よりも“距離”。

感情が爆発するのではなく、
どこか妙に冷静に状況を見ている。

これは絶望というより、

「自分という存在を一度リセットして眺めている状態」

に近いです。

そして周囲の人たちの様子が描かれます。

  • 泣かない人

  • 泣いてくれそうな人

ここで初めて出てくるのが「他人の感情」。

自分の死そのものより、

「誰がどう思うのか」

のほうが気になっている。

つまりこの段階では、
まだ「生きている側の心」が残っているんです。


中盤:自己紹介のような羅列

途中で突然、自分の特徴が並び始めます。

好き嫌い、得意不得意、性格、弱さ、ちょっとした笑い。

ここがこの詩の大きな転換点。

それまで「死んだかもしれない存在」だったのに、
急に

ものすごく具体的で、生活感のある“人間”

になります。

しかも並んでいるのは、

  • 大した長所でもない

  • すごい欠点でもない

普通すぎる要素ばかり。

でもここに詩の核心があります。

人の存在って、

偉業でも悲劇でもなく、
こういうどうでもいい細部の集まりなんです。

この羅列は、

「僕って、こういう小さなことでできてたんだ」

という再発見の場面です。


後半:世界は変わらないという事実

詩ははっきり言います。

自分がいなくなっても、
朝日はいつも通り昇る。

これは残酷な真理です。

世界は一人分の欠落では止まらない。

でも同時にここで生まれるのが、

「じゃあ自分の価値って何?」

という問い。

その直後に出てくるのが、

「誰かが泣いてくれるかもしれない」という想像。

世界は変わらないけど、
誰か一人の心の中では変化が起きるかもしれない。

ここで初めて、

“宇宙規模の無力さ”から
“人間関係の重み”へ視点が戻ります。


終盤:再起動する朝

最後に訪れるのは「新しい朝」。

ここが決定的に重要。

それまで描いていたのは、

  • 死んだ後の想像

  • 自分のいない世界

  • 存在の軽さ

でも最後は、

目が覚める側に戻ってくる。

問いは変わります。

「いなくなったらどうなるか」ではなく、

「今日は何をしようか」

になる。

これは、

死の想像を通って
生を選び直す動きです。


この詩が伝えていること

この詩は、

「自分なんていなくても世界は回る」

という事実を突きつけながら、

同時にこうも言っています。

でも、だからこそ、今日をどう使うかは自分次第だ。

人は大きな意味では取るに足らない存在。

でも、

  • 好き嫌いがあって

  • 得意不得意があって

  • ちょっと弱くて

  • ちょっと可笑しくて

その全部をひっくるめて「その人」になる。

その小さな集合体が、
今日もう一度目を覚ます。

ここに、この詩のやさしさがあります。


おわりに

この詩は、死を描いているようで、

本当は

「生き直すための空想」

です。

一度「いなくなった自分」を想像することで、
逆に今ここにいる自分の輪郭がはっきりする。

世界は変わらない。
でも自分の今日の選択は変えられる。

だから最後は重く終わらない。

この詩は、
存在の軽さを見つめたあとで、

そっと「じゃあ今日どうする?」と
背中を押してくる一篇なのです。

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