「うたをうたうのはわすれても」(津田元)の歌詞の意味を考察! 歌詞に込められた思いとは

歌詞の意味考察

今回は混声合唱曲「うたをうたうのはわすれても」の歌詞の意味を考察していきます!

是非最後まで見ていってください!

はじめに

「うたをうたうのはわすれても」は岸田衿子さんによって詩が描かれました。

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「棗のうた」(木下牧子)の歌詞の意味を考察! 歌詞に込められた思いとは | 合唱曲紹介屋tam

この詩で語られているのは、
記憶と自己の境界がほどけていく瞬間です。

ここで描かれているのは、

思い出そうとして残る記憶ではなく、
自然の中でふと残ってしまう感覚。

人の顔や出来事は忘れていくのに、
夕暮れの野の花だけは強く心に残る。

つまりこの詩は、

人間的な記憶よりも深いところにある
感覚の記憶

を描いています。

そして最終的には、

自分という輪郭さえ揺らいでいく体験へと向かいます。


前半:忘れるものと残るもの

冒頭で対比されるのは、

歌うこと
人の顔
電話の声

といった人間的な出来事と、

野の花の光景

です。

普通なら、人との関係の方が記憶に残りそうですが、
この詩では逆になっています。

これは、

意味のある出来事よりも
感覚の体験の方が深く残る

という人間の記憶の本質を示しています。

特に印象的なのは、

「ほくろのような花」

という表現。

小さく、目立たない存在なのに、
強く印象に残る。

ここには、

何気ない瞬間こそが人生の核になる

という感覚があります。


中盤:移動と距離の感覚

都を離れ、バスに乗り、橋を渡る。

この移動の描写は単なる行程ではありません。

都市から自然へ向かう過程、

つまり、

社会的な自分から
より本能的な自分へ移る過程

を象徴しています。

そして川の音が遠くなる場面。

これは物理的距離だけでなく、

現実世界との距離が離れていく感覚

を表しているようにも読めます。

日常から少しずつ切り離されていくことで、
感覚が研ぎ澄まされていくのです。


後半:自然に満ちる静けさ

後半では、

野には野の静けさがあふれ
花には花のつぶやきがあふれる

と語られます。

ここで重要なのは、

世界が主体として描かれていること。

人間が自然を見ているのではなく、

自然そのものが存在している。

そしてその存在に満たされることで、

人間の意識が薄れていく。

これは、

自己中心的な視点からの解放

を意味しています。


「わたしを見失います」の意味

最後の一行はとても象徴的です。

普通なら「自分を取り戻す」と言いそうな場面で、
この詩は逆に「見失う」と言います。

しかしここでの見失うは、

不安や混乱ではありません。

むしろ、

自分という境界がほどける体験

に近いものです。

自然の中で自我が薄れ、

世界の一部になっていく感覚。

つまり、

自己の消失ではなく
自己の拡張

が描かれています。


この詩が伝えていること

この作品が語っているのは、

人生で本当に残るものは
出来事の意味ではなく
感覚の深さだということです。

人の顔や言葉は忘れていく。

でも、



空気
静けさ

といった体験は残る。

そしてその体験の中で、

人は一瞬、自分を越える。


おわりに

この詩は、

思い出の物語ではなく、
存在の感覚そのものを描いた作品です。

忘れていくことは失うことではない。

むしろ、

余計なものがほどけていくことで、
世界の輪郭がはっきりしてくる。

そしてそのとき、

私という境界は静かに薄れていく。

自然の中でふと訪れる、
あの不思議な透明感を思い出させてくれる一篇なのです。

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