こんにちは!今回は混声合唱曲「かなしみはあたらしい」の歌詞の意味を考察していきます!
是非最後まで見ていってください!
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はじめに
「かなしみはあたらしい」は混声合唱曲集「かなしみはあたらしい」に収録されている、
詩人の谷川俊太郎によって描かれた作品です。
この詩はとても短いですが、強い力を持っています。
語りかけの形で進みながら、
ある存在が「あなた」に向けて、
いくつもの“お願い”や“拒否”を伝えます。
テーマは
-
子どもの感情の重さ
-
大人の思い込みへの反論
-
心の新しさと疲れ
です。
一見やわらかい言葉ですが、
内容は非常に鋭く、深い問いを投げかけています。
前半:「見ないでいること」への抗議
詩のはじめでは、
視線をそらさないでほしい、
悲しみを軽く見ないでほしい、
という訴えが続きます。
ここで描かれているのは、
大人が子どもや弱い立場の人の感情を
「まだ小さいから」「そのうち忘れるから」と
軽く扱ってしまう態度への抵抗です。
感情の大きさは年齢では決まらない。
小さな体の中にも、
本物の悲しみがある。
この詩はまず、
その事実を真正面から見てほしいと求めています。
「同じだと思わないで」という逆説
途中で繰り返されるのが、
「心を同じだと思わないでほしい」という趣旨の言葉。
一見すると、
「分かってほしい」と言いながら
「同じだと思うな」と言っているようで矛盾して見えます。
でもここにこの詩の核心があります。
求めているのは「同一視」ではなく、
違いを認めた上での理解。
大人の経験や疲れを基準にして、
子どもの心を測らないでほしい。
子どもはまだすり減っていない存在。
だからこそ、
感情はむき出しで、
新しく、強い。
「疲れていない心」が意味するもの
この詩では、語り手の側が
「あなたほど疲れていない」と示唆されます。
これは単なる体力の話ではありません。
心がまだ摩耗していないということ。
大人は経験を重ねるうちに、
慣れ
諦め
感情の鈍さ
を身につけてしまうことがあります。
でもここで描かれる存在は違う。
悲しみも
喜びも
怒りも
すべてが新鮮で、生のまま。
だからこそ、軽く扱われると深く傷つく。
後半:感情の「新しさ」
詩の後半では、
悲しみも喜びも怒りも“新しい”ものとして語られます。
ここがとても重要。
大人にとっては「よくあること」でも、
初めて体験する心にとっては、
それは世界を揺るがす出来事です。
この詩は、
経験が少ない=浅い
ではなく
経験が少ない=感情が新鮮で強い
という逆の視点を示しています。
おわりに
この詩は、子どものための詩のように見えて、
実は大人への詩です。
見ないふりをしていないか
軽く扱っていないか
自分の基準で測っていないか
そう問いかけてきます。
そして同時に、
私たちが失ってしまったものも思い出させます。
感情が新しかった頃の心。
すり減っていなかった心。
短いけれど、
読む人の立場によって意味が変わる深い一篇です。
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